ゆうきさらのほんよみにっき@はてブロ

はてなダイアリーから引っ越しました。ゆうきさらが読んだり見たりしたものを気ままにつづります。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰(2)ネタバレ雑感とちょっとメタ的な考察

以下妄想と致命的なネタバレしかないので要注意!!

別作品への言及があるんだけど、決定的なネタバレになってます。

あと、途中で力尽きたので、そのうち追記するかも。

 

一応見出しはぼかしてみるけど、平成と2010年代を駆け抜けつつある1ヲタクの回顧的な雑感も含むので、作品感想からはちょっと外れたり近づいたりかもしれない。演技についてや舞台としての感想はまた別項に(いくつエントリ作るつもりだよ)。敬称略。

随時追記します。本文は折りたたむ。

 

 

●第一印象

初日ライビュマチネを見終わったときに、一緒に観た友人と「魔法少女まどか☆マギカだった……制作ニトロプラスだった……」と号泣しすぎて涙も尽きて呆然としながら呟いていたんだけど、この時点では、私は個人的に「ステ三日月宗近暁美ほむらだった……?」と思っていて。刀剣男士三日月☆宗近(笑えない)。

ただ、友人から「まどかでもありほむらでもあるよね」と言われて、他の方からも指摘されて、確かに、と。

 

三日月宗近は何かがきっかけで時間のループに入り込み、結いの目――特異点の起点と化した果てに、最終的に白き神でも魔でもあるような何か(登場時、あまりの美しさ神々しさ、そして禍々しさに息を呑んだ)に変貌し、近侍である山姥切国広と烈しく斬り結んだ後、約束だけを残して消滅し、本丸は三日月宗近を失ったまま日常を取り戻す。

そしてエピローグ。もう一振の三日月宗近が顕現するが、消滅した三日月宗近が新規のループを開始したものなのか、あるいはループから抜け出した、または関係ないものなのかは(現段階では)こちらに想像の余地を与えられている。

 

……とここまで書いたところで、どっちかっていうと劇場版まど☆マギ叛逆の物語かもしれないと思ったけど(近侍であり三日月にとってのキーでもあるらしい山姥切国広も刀剣男士だしね)、ループした平行世界の一つでの物語なので完全に一致してなくてもいいのか。

 

ニトロプラスとまど☆マギとソシャゲと2.5次元舞台

 

話はちょっと変わって、以下、総花的に現在に至るまでに私が把握している状況を並べてみる。割と真面目に妄想を語るので、文体がいきなり変わるけどご容赦を。

 

ハイブリッドな作風の美少女ゲーム及び女性向けBLゲームをリリースし続けていた、ゲーム会社ニトロプラスの看板脚本家・虚淵玄脚本、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の初出が2011年。

そして刀剣乱舞の前に、DMM配信のソーシャルゲーム(以後ソシャゲと略)「艦隊これくしょん」がリリースされたのが2013年。

そして艦これのゲームシステムをベースにしつつ、開発ニトロプラスコンシューマーゲームガンパレードマーチ」で、かなり尖った脚本を書くことで知られた芝村裕吏が脚本を手がけるソシャゲ「刀剣乱舞」のリリースが2015年1月。

 

まど☆マギの大ブレイク以後、ニトロプラス虚淵玄の有り様は以前とは随分変化して、ゲーム開発とともにコンテンツのパブリッシャーとしての役割がもう一本の柱として立ったのではないかと個人的には考えているのだけれど、ゲーム「刀剣乱舞」における派生コンテンツパブリッシャーとしての仕事の一つが2.5次元舞台コンテンツ「ミュージカル刀剣乱舞(刀ミュ)」と「舞台『刀剣乱舞』(刀ステ)」で、どちらも大ヒットしているのは言うまでもなく。

 

また、いわゆる2.5次元舞台の歴史は着実に積み重ねられていて、先駆者である「ミュージカルテニスの王子様テニミュ)」は2018年には誕生15周年。

ミュージカル刀剣乱舞テニミュを手がけるネルケプランニングが制作。一方、激しい殺陣とシリアスで複雑な物語が展開される、連作ストレートプレイ版の「舞台『刀剣乱舞』」は、ストレートプレイ版2.5次元作品も多く手がけるマーベラスが制作、と綺麗に分かれている。

刀ステでゲーム刀剣乱舞における象徴的なキャラクター・三日月宗近を演じるのは、マーベラス版ストレートプレイへの出演が多く、2.5次元舞台のキングとも称される鈴木拡樹。そして刀ステ版本丸の近侍・山姥切国広を演じるのは、テニミュ出身でもあり、人気急上昇中の荒牧慶彦。他キャストも、2.5次元舞台で人気・実力を持った役者が多い。脚本・演出は、最近ではアニメ「ボールルームへようこそ」のシリーズ構成・脚本も担当し、オリジナル舞台作品も多く手がける末満健一。

 

●アフター「魔法少女まどか☆マギカ」の物語

舞台『刀剣乱舞』シリーズ「虚伝 燃ゆる本能寺(初演・再演)」「義伝 暁の独眼竜」「外伝 この夜らの小田原」「ジョ伝 三つら星刀語り」「悲伝 結いの目の不如帰」で語られる一連の物語は、虚伝から全てを知っているような、思わせぶりな態度を取り続けていた三日月宗近が、タイムリープを続けていた結果、結いの目――いわゆる特異点と成り果て、最終的に「時の政府」の命で刀解されるという結末を迎える。

 

舞台そのものへの言及はまた別項に譲るけれど、冒頭に述べたとおり、「舞台『刀剣乱舞』」シリーズは、ニトロプラスが末満健一という才能と組んで制作した「アフター『魔法少女まどか☆マギカ』の物語」だと個人的には思っている。

 

(ここで比較対象として同じくニトロプラスの「カオスヘッド」「シュタインズ・ゲート」も出すべきだとは思うんだけど、私は残念なことに履修していないから誰かよろしく…!)

 

繰り返しになるが、 「悲伝」のラストはテレビシリーズ版まど☆マギのように、三日月宗近の欠けた本丸が、近侍の山姥切国広を中心に日常を取り戻す(しかも戻ってくるのは歴史修正主義者との終わりの見えない闘いが続く日々)という、なかなか救いのない結末ではある。

 三日月宗近の行く末はどちらかといえば劇場版まど☆マギにおける暁美ほむらの処遇によく似ているように個人的には思う。彼の抱く唯一の希望は、ループした末にまた出会うであろう山姥切国広が、ループを重ねた結果、人の身を得てもなお、その縛りを超えんばかりに、刀剣男士として果てしなく強くなってしまった三日月宗近に打ち勝ってくれること(それはもしかしたら、鹿目まどか魔法少女であることを選びつつも、円環の理であることを選ばないエンドなのかもしれない)という、やるせなさに満ちたエンディングではあるのだが。

ただ、「ソーシャルゲーム」としての刀剣乱舞の根本的な性質を考えたときに、この結末に至るのは必然ではないか、とも考えられ。

 

●サービス継続中の「ソーシャルゲーム」である「刀剣乱舞」の 派生作品であること

刀ステには、以前よりゲームシステムを物語の世界に織り込んで世界観を構築することに対し、意識的だと思われるエピソードが多々ある。

手入れ部屋や手合わせ、内番は勿論、平行して存在する他の本丸の存在、同じ時代を何度も周回すること。刀剣男士の敵である時間遡行軍も同じように周回してレベルアップをすること。小夜左文字の極修行。

義伝で匂わされる検非違使の存在。序伝での山伏国広の刀剣破壊とお守り効果による復活、そして悲伝での刀解エピソード。

何より、「ループする物語」という構造自体が、刀剣乱舞をはじめとする特にブラウザ型ソーシャルゲームにおける、周回システムの構造そのものなのではないか。

 

悲伝において、刀ステ本丸における「主」は物語のトリックではなく、普通に存在していることが明らかになっている。その主は近侍・山姥切国広以下本丸に顕現した刀剣男士達に、時間遡行軍を倒すべく指示を与える存在。さらに、主にその命を与えているのは2205年の「時の政府」。

 物語中では時の政府なるものが陰謀論的に語られることはないが、ゲームパブリッシャーがプレイヤーに求めるゲームプレイのためのルールと考えることも可能なのではないか。そして、刀ステにおける三日月宗近の存在は、「自らが終わりなき闘いに投入され、ゲームのサービスが終わってしまえば存在自体が消滅してしまう、ソーシャルゲームのシステム自体に疑問を持ち、抗いはじめたゲームのキャラクター」とも言えるかもしれない。

 あまりにメタフィクショナルな解釈だと自分でも思うが、ソーシャルゲーム刀剣乱舞」はサービス開始から3年目。そして「舞台『刀剣乱舞』」は虚伝の初演から2年が経過し、集大成と銘打って公演が始まった。それは一つの終わりとも言えるだろう。

 刀ステにおける三日月宗近は、ソーシャルゲームという、継続する限りは終わらない世界の物語を終わらせるという構造に対する「叛逆の物語」を、刀ステの一連のシリーズで描いたのではないか。鹿目まどかが、暁美ほむらが、さやかが杏子がマミが、「魔法少女」という、外部から強制的にもたらされた、オタク文化におけるある種ティピカルな概念及び物語と、その後ろにある運命の残酷さに抗った/受け入れたように。

 

●舞台でタイムリープものを表現することと、サービス継続中だからこそなし得る一つの可能性

 しかし、「魔法少女まどか☆マギカ」と「舞台『刀剣乱舞』」には決定的な違いがある。

まど☆マギは新房昭之監督のもと、蒼樹うめの可愛らしいキャラクターデザイン及び、劇団イヌカレーの独特な背景美術などによって構築されたアニメーションである。

 だが、「舞台『刀剣乱舞』」は、生身の人間によって演じられる舞台作品。

1公演1公演、全く同じ脚本に沿って演じられても、全く同じ演技になることはあり得ない。そして、刀ステは、短期間の公演が多い2.5次元舞台としては異例の、ロングラン公演が多い。

 虚伝初演は24公演、虚伝再演は37公演、義伝は46公演、ジョ伝は17公演、1夜限りの小田原外伝、そして悲伝は55公演。悲伝の大千秋楽に、刀ステは180公演目を迎える。

 

脚本演出の末満健一は、

「同じ戦場に何度も出陣しなくてはならない『刀剣乱舞』の世界観と、同じ演目を繰り返さなければならない演劇の構造の、面白いミックスになったのではないか」(戯曲 舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺後書より引用)

と虚伝戯曲のあとがきで述べている。

 また、三日月宗近役の鈴木拡樹と山姥切国広役の荒牧慶彦は、悲伝に至るまでの脚本プロットを、他キャストに先んじて聞かされていたという。虚伝再演及び義伝での三日月宗近の思わせぶりな態度は、悲伝を見据えた演技プランであり、演出プランなのだろう。

 そして上記の引用はそのままタイムリープものの構造でもある。これは想像でしかないが、役者達がもし、1公演が1つの歴史の糸であり、それは悲伝でもつれ、絡まり、一度リセットされなければならないものだと認識しつつ演じていたとしたら。

 

 刀ステの特徴として、「日替わり」シークエンスが多々挿入される、というものがある。「軍議」の場面で出てくる茶菓子は公演ごとに変わり、役者達はそこからアドリブを展開する。役者のアドリブ能力が試される場面でもあるが、上記の特徴を考えたとき、観客が劇場に入り、その日観る唯一のアドリブは、三日月宗近が経験するタイムリープの円環の1つではないか、と考えることも可能だろう。(虚伝再演の日替わり軍議はすべて記録され、ディスクに収録されていることを鑑みて、制作側が全く意識していなかったとは思えないのは穿ち過ぎだろうか)

 

 あくまでも想像でしかないが、舞台でSF的なギミック、タイムリープの表現をするというのは、そう簡単なものではないように思われる。しかし、これまでタイムリープものの傑作をいくつも制作してきた、ニトロプラスならではの挑戦なのだろう。

 しかし、もし、ここまで複雑なギミックを仕込んでも、最終的に悲伝が正しく悲劇として機能しなかった場合を考えると、恐ろしい博打でもある。

 だが、アニメ・漫画・ゲーム(及び、それに影響を与えてきたSFやファンタジーの要素)と親和性の高い2.5次元舞台でしかなし得ないアグレッシブな挑戦だと思われるし、2.5次元舞台に数多く出演しながら、一方でオリジナル脚本のストレートプレイでも活躍する鈴木拡樹と、2.5次元舞台の申し子のような容姿と、身体能力の高い荒牧慶彦の表現力と演技力があればこそ、ニトロプラスと末満健一は、この、普通に考えたら不確定要素が多すぎて避けそうな冒険に打って出られたのかもしれない。

 

 そしてもう一つ、アニメと舞台作品の決定的な差異がある。

アニメは制作に膨大な準備と時間が必要だ。勿論舞台作品も同様ではあるのだが、いざ公演が始まってしまえば、アドリブを挿入するように、リアルタイムの変化を作品内に反映させることが比較的やりやすい(簡単ではないだろうが)、というのがある。

 

現在、ゲーム「刀剣乱舞」では初期刀5振りの「極」実装が進んでいる。

 ソーシャルゲームならではの発展要素であり、実際に刀ステシリーズでも、極めた刀剣男士が登場している。

 もし、6月または7月に実装される「極」が山姥切国広で、それを舞台に反映させるという挑戦がなされるとしたら。

180回目の公演は、悲劇のその先が垣間見えるものになる可能性があるのではないか。

 実際になされるのならば、生半可な覚悟では出来ないだろうが、2年かけてじっくりと、悲伝に至る物語を、脚本で、演技で、台詞や表情の一つ一つで表現してきたスタッフ・キャストの偉大な挑戦になるかもしれない。そして、そうあって欲しいと心から願う。