ゆうきさらのほんよみにっき@はてブロ

はてなダイアリーから引っ越しました。ゆうきさらが読んだり見たりしたものを気ままにつづります。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰(3)雑誌読んでの雑感含む主に三日月宗近周辺の話

 CUTと日経エンタ刀剣乱舞特集を読んだので、改めて北九州での観劇前に整理しとこうと思って、ふせったーにアップしたものに補足の文章を入れてブログにアップします。京都公演の間に進化しているんだろうなと思うとソワソワするんですが、後半戦すぐの北九州が本当に楽しみです。九州公演ありがたや。

 

全開の悲伝バレも入った妄想100%の話なのでお気をつけてご覧ください。

相変わらず文体が迷子ですが、普段ツイートするときはこんな感じです。ごめんなさい。

 

主に三日月と鈴木拡樹氏の話がめちゃくちゃ多いんですが、まあこのブログの過去のエントリを見て頂ければ私の見方が偏っているのはおわかりかと思いますのでよろしくな……。敬称略したり略さなかったり。

 

以下、記事をたたみます。

 

 

 日経エンタテインメント!刀剣乱舞特集と、CUTの刀ステ特集記事を読みました。一般紙のわかりやすいプレゼン資料的なよくまとまった特集も、ライターの方の熱量が高い特集もどちらもプロの技っていう感じで楽しいなあ! 素晴らしい。しかしろきのんの出版物で刀ステの特集とは。ていうか今回若手俳優雑誌以外の一般誌で刀ステに絡んだ取材記事多くないですか? 気のせい? 義伝やジョ伝のときってこんなに多かったっけか。

 

 どちらにも刀ステ脚本演出の末満健一氏インタビューが掲載されていたので、明治座初日LV後からずっと考えていたことの途中経過を投げてみる。京都公演も応募しておけば良かったと後悔しきりなんですが、北九州取れてるだけでもありがたいので贅沢は言わない。

 

 

 さて、本題に戻ります。

 刀ステ、末満本丸が続く可能性はありそうだけど、ひろちかがすぐそこに入ってくる感じではないのかもなーと思いつつCUTを読んでました。


 CUTの末満さんインタビュー内に、

 

  • 三日月宗近はいわゆる看板キャラなんですけど、物語の主役になるかといったらそう簡単にはいかない、少し異質な存在」
  • 「刀ステは青春もの」


というフレーズがあるんですが。 

 

 あと、鈴木さん荒牧くんインタビューには、これはパンフでもあったそうなんですが(通販でパンフ買ったので届くの7月末なんですしくじった)、虚伝再演のときに今に至る構想を聞かされていて、ただ、変更の可能性もあったようだったので、演技にそのニュアンスを少しずつ織り込んでいたということも明示されていて。

 
 そこは再演を観たときに明確に提示されてたと思うんだけど、正直、役者二人の負担ってかなり大きかったんじゃないかと思うんですね。


 悲伝のラストの三日月との対決と慟哭のために、刀ステシリーズの主人公として全力で成長しなければならない荒牧くんは勿論のことですが。そして、上から目線な言い方ですけど、見事な成長ぶりだと思います。外伝ジョ伝は本当に素晴らしかった。特に、ジョ伝は山姥切国広の殺陣と演技で場面の時系列を表現しなければならないので、物凄く大変だったのではないかと思うのですよ。

ジョ伝を観たときに、「こんなにトリッキーなタイムトラベルネタを舞台でやってしまうのか!」という衝撃を受けたんですが、その展開は役者さんの技量なければ絶対に表現出来なかったわけで。長谷部とお小夜もなんですが、この3人の成長は素晴らしいなと劇場で観たときにしみじみ思ったのが懐かしい……ゆーても2017年の冬やぞ……本当に最近やないかい。若い人たちの伸びしろって凄いですねえ。

 


 そして、刀ステシリーズが悲伝に至る物語の流れを決めた要素の1つは、末満さんがインタビューでも発言していた、「鈴木拡樹が三日月宗近にキャスティングされたこと」なんじゃないかな、と悲伝を観てからずっと思っていて。
 CUTのインタビューで末満さんが掛け値なしに鈴木さんを褒めまくっていてびっくりしたんですけども。
 正直、「刀ステの三日月宗近」は、ここまで、ただ端にキャラクターとして立てるには、物凄く内包しなければならない要素が多かったのではないかと思うんですね。とりあえずこういう感じかな、というのを羅列してみると、

  • 悲伝で明かされるSFギミックの大ネタである、タイムリープの起点であり特異点であるという部分の、三日月宗近というキャラクター自体がこれまでの物語の伏線になっているという演技をしなければならない。すなわち、これまでの刀ステの1つの軸になっていた「なんでこんなにステの三日月宗近は何もかも知っている風な態度なんだ? 異常に老成しているのはどうして?」という疑問を、露骨ではなく自然に観客に抱かせるような含みのある演技をしなければならない。
  • 虚伝義伝と区切りのある1つの物語の展開に関しては違和感を突出させすぎないようにしないとならない。
  • 上記のSFギミックに、悲伝後の刀ステの物語の軸の1つになりうるような物語の強度と意味を持たせ、ラストに爪痕を残すだけの演技を観客に見せなければならない。
  • しかも作中最強であり、タイムリープの果てにむしろ「強くなりすぎた」という描写を納得できるような演技と殺陣を見せなければならない。
  • 勿論、ゲームの三日月宗近から激しく逸脱しない程度に、ゲームの代表キャラクターである三日月宗近としての演技を要求される。
  • さらに悲伝から過去作品を振り返ったときに、キャラクターの挙動1つ1つが矛盾なくタイムリープの伏線になっていなければならない。
  • もしプロット変更があったときに、柔軟に対応出来る程度のニュアンスの匂わせ方をしなければならない。


 本当はもっとあるかもしれないんですが、要するに、登場人物の一人でありつつ、同時に物語の歯車であり伏線として機能しなければならないという大変厄介なキャラクターで、役者に対しての要求が膨大な上に、しかもタイムリープものの物語が内包する理不尽な展開を1キャラで全部引き受けなきゃならないという、言ってしまえば、

  • とても高度でロングスパンな思考で立てる演技プランが必要
  • それを観客に伝えるための演技力も必要
  • さらに、負担は多いのに、物語の構造が完全に明らかになる前も、なってからも、キャラクター自体に胸がすくようなカタルシスを伴った見せ場を作るに作れない(まさにストーリーという名の「結の目」に絡め取られた状態)

 私はステの脚本に関しては、虚伝再演以降はどのキャラクターに関しても、かなり当て書き要素が強いんじゃないかと妄想している人間です。

 というのも、ステの三日月宗近について、「ひろちかは三日月宗近というには演者本人の癖が強すぎる」っていう意見を虚伝再演以降ちょこちょこ目にしていて、実際初演との演技の違いを考えると「これあからさまに故意にやってるよな」っていうのが自分の意見ではあったんだけど、悲伝の展開を観たときに「刃の上を歩くようなギリギリの演技プランでここまで来たんだなあ」っていう納得が自分の中にあったんですよ。

で、三日月宗近に関しては、鈴木さんが実際に演じることが出来るっていう信頼がなければ、末満さんもこの展開にはしなかったかもしれないなと。


 2.5次元舞台に要求される演技プランとしてはかなり異質だと思うし、ユーザーにしても他のメディアミックスにしても、各自の本丸がある刀剣乱舞だからこそ出来た展開なんだろうけど、これまで2.5の舞台でキャラクターを三次元に見事に顕現させてきた役者の筆頭として名前の出てくる存在となっている現状で、鈴木さんがこれを引き受けるには相応の覚悟が必要だったんじゃないかな、とも思うわけで。なんて言ったって初演から数えれば2年に渡るロングスパンなプランですし。しかも、2.5以外の仕事も着実に大きくなっている現状で。

 

 悲伝では、私は初日LVだけど、その三日月宗近の集大成を見せてもらえました。色を喪った三日月宗近が登場した瞬間、息を呑むしかなかった。TDC全体がそんな感じで、鳥肌が立ちました。

 強く美しく、そして恐ろしくおぞましく、若々しいようで、老いて何もかも諦めている風で、けれど期待とか細い約束を捨てきれない。刀剣男士から鉄の塊に戻る前の、人に非ず刀に非ず、他にこの世のどこにも存在し得ない、しかし確かに誰かを慈しむ想いの息づいている存在を観ることが叶ったというのは、個人的にとても大きいんですね。

 その「刀ステの三日月宗近」をきちんと背負って体現しての悲伝ラストを観て、改めて凄い役者だな、と思いました。正直恐ろしさが勝るくらい。

 

 いや、正直、初日ライビュ観た時に、「私、鈴木拡樹を過小評価していたんでは」っていうのを物凄く思ったんですよ。これまで結構な勢いで褒めてると思っていて、かなり自分の評価が過剰なんじゃないか、となるべく冷静になろうとしてたんですが、無理だった……笑

 

 あと、CUTの鈴木さんと荒牧くんの対談の中で、三日月宗近と山姥切国広の関係を描くために、鈴木さんが「本気で思ってます」と断言していたのがとても印象的でした。

 三日月宗近と山姥切国広の最後の死闘は、そんな風に言い切れるだけの情に溢れていて、それだけに本気で、死ぬほど辛かったシーンでもあるのですが。

 だた、あのシーンの二人は、とにかく美しい。

虚伝で三日月宗近が「美しい」と言ったように、悲伝で山姥切国広が「深く、静かに、美しい……」と言ったように、互いの美しいという思いが、あのシーンになって結実したのではないかと感傷的になってしまうくらい、未だ目に焼き付いて離れません。これ北九州で観て正気でいられるんだろうか……。

 

 鈴木さんの演技プランとして、常に「三日月宗近は刀である」ということが念頭にあるようだ、というのが、初演の頃の各所のインタビューから繰り返し語られているんですが、CUTのインタビューでは、闘いの時以外の三日月宗近の思いのありようが語られていたのが、とても印象的でした。

 でもなんだか入手が大変なようで……あんまり品切れが酷いようなら書店のカウンターで注文して、ろきのんに問い合わせを入れてもらうのも1つの手かと思います、と元書店員より。
 
 「刀ステの三日月宗近」が「結いの目」であり、「刀ステの山姥切国広」が「不如帰」である、ということはサブタイトルからも本編の内容からも明確に提示はされたんだけど、さあ、ここからステ本丸が何を選択するのか、という部分は、「刀ステは青春もの」っていう言葉と悲伝の内容をキーにして考えていったときに、

 

(1)とりあえず存在しているだけで物語の展開に歪みが生じるくらい、タイムリープの物語構造と密接に絡み合っている「刀ステの三日月宗近」をそこから完全に解き放つ物語を作る

(2)タイムリープの原因が三日月宗近以外の部分にあるのなら、三日月宗近のいないところで他の刀剣男士がそのタイムリープの原因に立ち向かう展開にする

(3)とりあえずタイムリープの大ネタとは切り離して、刀剣男士達の青春物語を描く

 

になってくるのかなと思いつつ。他にも色々展開はあると思いますが。

 

「鵺」って、「掴みどころがなく、立ち回りは巧みだが得体の知れない人物」のたとえでもありますよね。それは悲伝前の「刀ステの三日月宗近」でもあり、悲伝の物語が紐解かれてもなお全ての謎が解けたわけではない三日月宗近そのものだと思うんですね。特に後半、「鵺と呼ばれる」彼に「時鳥」と名付けられてからは。
 
 個人的にはそこの謎が解けずに、無限にタイムリープする三日月宗近という存在を救えない悔恨を抱えたまま、モラトリアムを、あるいはモラトリアムを超えて生きてゆく刀剣男士達の話が続いても、それはそれでいいんじゃないかと思うんですよ。
いずれこの末満本丸の物語が閉じるときに、三日月宗近の本当の考えがわかる、くらいの。
 ただ、三日月宗近にかかった呪いのような結いの目が解けて、またまんばちゃんや、他の刀剣男士と一緒に、みんなで茶請けをキャッキャしながら嗜んでいる本丸が見られるならば、それはそれで号泣ものなんだけども。

 

 初日LVを見てからずっとぐるぐる考えてるんだけど、あの展開、あの理不尽さがないと、ラストシークエンスに至る三日月宗近と山姥切国広の凄絶な美しさは見られなかったと思うので、やっぱり結果的には私は悲伝、好きなんだなあと。

 ただ、こんな風に落ち着いて考えられるのは、多分まだ劇場で観てないからだと思うんですが。ライビュですらこんな感じなのに、劇場で観て動揺しない訳がない……。


 三日月宗近を実際に劇場で観てから、鈴木さん出演の他の作品を劇場まで観に行くようになった人間なんですが、個人的には髑髏のおかげで2.5以外のストプレを沢山観たいっていうのもあるので、刀ステがとりあえずの集大成を迎えた今、今後どういう作品で表現を磨いていくのか注目していきたいです。

 まずNo.9のチケット取りが待っている……。私、元々役者としての白井晃さんが大好きな人間で、一度白井演出の舞台は観に行きたい、とずっと思っていたんですが、まさかの鈴木さん出演でめちゃくちゃ嬉しいので、頑張って観に行きたいです。いやー楽しみ。ごろちゃんも「二十歳の約束」リアタイで見てた世代なので(年がわかる発言)。

 

勿論、三日月宗近を観たい気持ちもあるんですが、とりあえず別本丸と明言されている(日経エンタ参照)映画の方でまず観られるしな、というのもあり。日経エンタは秋から映画の連載も始まるようですし、そちらも楽しみに待ってます。やすこにゃん脚本だけどやすこにゃんは割と爽やかに落としてくれると思ってるから……(悲伝で打ちのめされた顔)。

 

 余談ですが、悲伝は「スーパー2.5次元出身俳優大戦」のイメージがあるというか、2.5次元がキャリアの出発で、そこから実力をつけていった役者さん達が沢山観られたのも嬉しかったです。役者の演技力に対する安心感と安定感半端ない……。そしてテニミュキャストの多さな。テニミュ凄い。

 特撮を経由しているのが碓井さんと鈴木さんというのも面白いです。「鵺と呼ばれる」の演技は素晴らしかったなあ。中河内さんの義輝もですけども。

 さらに余談。実は私が三津谷亮くんの演技をきちんと役者名まで認識して観たのは大河の「真田丸」だったんですが(割と遅い)、今は亡き真田丸の公式サイト内で、キャスティングプロデューサーが2.5次元舞台も一般舞台と同様にチェックしていて、その中で決まったキャスティングだった的なことを話されていたんですね。

 確実に2.5は役者のキャリア形成に欠かせない分野になっているし、NHKみたいに意欲的なドラマを作る放送局がチェックしているんだな、というのも印象的だったのを覚えてます。朝ドラに特撮キャストが配役されるように、2.5出身の役者の登用も増えてくるかもなあと思ったり。

 

 そして、関西方面の皆様には改めてお見舞い申し上げます。どうか一日も早く地震とその被害が収束することを心から願います。

 期せずして旅先で被災者となってしまったスタッフ・キャストの皆様、また被害甚大の末満さん周辺も早く落ち着きますよう……。

 

 熊本大分地震を体験している人間ですが、今回の件で自分がスタッフだったらどういう決断を下しただろうと、一社会人としても色々考えました。

 実際、熊本大分地震のときは発災が真夜中で、しかも前震と本震の間に2日の猶予があった訳ですが、その間も職場は通常運転だったし、私も普通に仕事に通ってたんですよね。あからさまに認知における正常化バイアスが働いていたことは否定しない。

 

 緊急事態最中での上演の決断、休演を決断しても非難の声が上がっただろうし、誰がどう正しいと断言できることはないと個人的には思います。本当に難しい。特に平日通勤時間帯、しかも物販に既に人が集まっているであろう中、電車がストップしているところに、客をそのまま解散させられるかという判断が入ってきたのではないかと個人的には想像するわけですが、災害の現場で決断を下した皆様も、観劇した皆様も、観劇できなかった皆様も、どうか今後僥倖に恵まれるよう祈るばかりです。

 

そして震災の度に思い出すブログエントリのURLを貼っておく。

blog.parco-play.com

 

 正解はどこにもないんですよね。ただ、私自身、熊本大分地震の後、夜中の連続地震(余震200回以上あったからな……)で精神的に参っていたところに、元々予定を入れていた観劇で地元を離れて、揺れないことと舞台の熱さに救われた経験があるので、観客の一人としても、正解のない問いをずっと考えている気がします。

 

 そんな中で、フォロワーを案じ続けるキャストの皆さんの様子にただ頭が下がりました。そして、座長として情報発信ツイートを続けた鈴木さんの様子は、髑髏城の機構トラブルのときにも見ていましたが、個人としてなしうる最大の誠実な対応だったのではないかなと。圧倒されました。まして今回は天災、本当に誰も悪くないのに、きっと責任を感じているのだろうと思うと痛々しくもあったのですが、ツイートを見ているこちらも襟を正したくなる出来事だなあと感じた次第。

 

内容があっちこっちしましたが、多分北九州で観たらまたブログのエントリが増えると思います。吐き出さないと死ぬ。