ゆうきさらのほんよみにっき@はてブロ

はてなダイアリーから引っ越しました。ゆうきさらが読んだり見たりしたものを気ままにつづります。

舞台「バクマン。the STAGE」感想

すっっっっごい気が狂ってて2.5で演劇で小劇場だったな!!(キャパは小劇場じゃないけど)冒頭の斉唱から「え、演劇観てる~!!!」っていう満足感がすごくて。

元々小さな座組でやる芝居が大好きなんだけど、9人でアンサンブルなしでTDCHが狭く感じるって凄いなと。上手い人しかいないって観ていて本当に安心出来る…。

小劇場っぽい芝居で構成すればどんな大箱でも小劇場になるんだなっていう変な納得をしたりとか。

そもそもあの水盤舞台セットとプロジェクションマッピングと膨大な書き下ろしの音楽とあの役者陣なだけでまあまあ制作費を突っ込んでると思うんですが、そこから物凄くミニマムなんだけど派手なエンタメに落とし込んでるのが凄かった。

キャスパレ前にリアル週刊少年ジャンプ漫画のカットがまるで走馬灯のように流れて、それだけで泣きそうになったのであの演出は本当にズルい…。

 

とりあえず今年観た2.5で暫定一番好きなやつかもしれないです。

(ストプレカテゴリだと今のところ劇チョコの「帰還不能点」と水野美紀作・演出の「テクタイト」かなあ)

 

私が2.5を追うきっかけになった作品は「舞台 弱虫ペダル」のIH1日目で、やっぱりペダステ1年目は物凄く特別なんですが。

そこから2.5に興味を持って、観るようになった作品に「ハイキュー(以下ハイステ)」と「黒子のバスケ」があって、ハイキューに関しては原作ガチ勢というわけではなかったんですが、なんとなくチケットの取れた福岡公演(2作目)を観たときに、ウォーリー木下さんの演出と、和田俊輔さんの音楽、そして須賀健太を筆頭に若手の熱量が楽しくて、結局須賀健太卒業までは劇場で追い続けたっていうのがあるんですよね。

ということで、実は2.5の中でもスポーツ系のストプレは特に好きジャンルだったりするんですが。

 

ハイステを観たときに、橋本祥平くんのノヤっさんが物凄く印象に残っていたのと、何度か「ああ、ここはペダステのオマージュなのかもしれないな」と思う場面があったんですが、ウォーリー木下さんが関西小劇場出身と知り、本当にオマージュだったのかもなっていうのをバクマン。を観て思いました。

舞台センターにぶら下がってるGペンは、ペダステで天井から下がっているロードバイクと同じカテゴリかなと思ったし、あとオープニングの自転車漕いでるシーン。ハンドルはないけどまあペダステのアレにならざるを得ないですよね座組に荒北靖友がいるんだから。

荒北靖友を結局リアルタイム時には劇場で観られなかった私、あのシーンでガチ泣きしそうになりましたよ…。ありがとう…。演劇は繋がっているし、いつかどこかで観たかったものが観られる日が来るんだなあ。

 

あと、印象的だったのは、和田俊輔さんの音楽が、音数をギリギリまで減らした引き算の劇伴になっていたこと。和田さんがご自身のVoicyで「バクマン。に関してはサウンドデザイン的なことをした」と仰っていたんですが、9人の役者それぞれの演技の圧が強い中で、音楽を盛ってしまうと過剰になりかねなかったと思うんですが、そこを抑えてきたセンスがすごいなあと。

 

note.com

 

ハイステは盛ってる方向だと思うんですよね。各学校ごとにテーマ曲が決まってて、試合と同時にテーマ曲劇伴バトルをやってる印象があるし。その他だと、TRUMPシリーズには「ライネス」っていうあまりにも作品全体を象徴する曲があって、作品ごとに明確な方向性のある音楽家だと思うんですが、バクマン。の旋律らしい旋律を最小限にした、効果音のような劇伴も素晴らしかった。

 

原作を、物語の時系列ではなく、感情の流れで繋ぐことに割り切った脚本演出構成も、思い切ったことをしたなーと感心しました。プロジェクションマッピングも、具体的な部屋の中だったり、セット的なものとして映像を使ってないんですよね。漫画の擬音だったり、原稿だったり。

 

まー「バクマン。」と言えば未だにあちこちで擦られまくるくらい「過去の漫画とはいえ価値観がヤベえ」漫画の1つだと思うし、実際舞台化するときに、どこまでそれを再現するのかと思ってたんですよね。

個人的には、何が一番ヤバいかって、シュージンにしてもサイコーにしてもその他のキャラにしても、キャラクターづけとして「漫画に人生を捧げたやべーレイシスト」っていう軸が大きくあって、令和の今そのまま舞台に再現させたら大炎上ものだったと思うんですが、「レイシスト」部分を物語から切り離して劇中劇パートを増やすことで、なんとかヤバめの価値観を軽減して、きれいなバクマンに仕上げたんだなあと。亜豆やかやちゃんを出すために女性の役者をあてていたら、男性キャラのレイシスト具合が地獄みを帯びてたんじゃないかと思うので(あと尺の問題もあるだろうけど)、そこは納得しました。

令和のジャンプヒロインが竈門禰豆子や胡蝶しのぶやお茶子や梅雨ちゃんや釘崎野薔薇だと思うと、やっぱり今のものではないしね。

サイコーのプロポーズはサイコーのヤバさっぷりを語るのに外せないと思うので、祥平くんが亜豆ボディを演じたのはわかるかなと。

 

ただ、これはもう原作のバクマン。の問題だと思うんですが、「レイシスト」部分を切り離すと、サイコーとシュージンのキャラが薄くなるんですよね。そこまでレイシストであることがキャラクター性と切り離せないっていうのもすげーなとは思うけど。新妻エイジレイシストであることから切り離されたキャラクター性を持っているので、単体でキャラが成立するんだけど、サイコーをレイシストであることから切り離すために必要なキャラ立てとして、おじさん・川口たろうがサイコーの守護霊になることが必要だったし、ラストの大阪公演で、担当の服部さんが、シュージンの父親代わり的な雰囲気を出してきて、そこでシュージンの父親との相克の物語が補完された感じだったのが、舞台版としてのオリジナリティになってたなあと。

まあ、元々演劇作品は「古い戯曲のヤバい価値観とのせめぎあい」という命題を抱えているし、価値観は変化するものなので、令和3年のバクマン。としては全然アリなんじゃないかなと思いました。まだガラケーだった時代、アナログで漫画を描いていた時代の話だなっていうのは小道具で提示をしているし。今ならスマホだしフルデジタルだし、週刊ジャンプで連載しても一応きちんと休みは取らせる方向になりつつあるしな。何より集英社自体が「ジャンプ+」っていう巨大なWEB媒体を持って、作家の性別関係なく作品がバズる時代になっていて、さらに言うとマンガ市場バクマン。連載当時より拡大していて、おそらくアニメ化の効果って全世界に届くっていう意味でも当時よりさらに大きいと思うんですよね。

マンガ市場は連載当時から激変していて、何もかもが停滞している日本の中でもマンガはそういう媒体だし、2.5もそういうジャンルだと思うので、また数年後にバクマン。を上演したら、きっともっと脚本は刈り込まれるんだろうなという気もしました。

 

とはいえ、「漫画に人生を捧げたやべー」部分というのは残って、まあサイコーが入院しながら原稿を描くシーンから連載続行、のシークエンスは最近呪術廻戦の休載があっただけに「ひえっ」と思ったわけですが、ここが切り捨てられないのはまあ、キャスト9人が9人とも、そしてスタッフの皆さんも、このコロナ禍の中、感染の、命の危険性を常に背負いながら、お客さんが来られないことも全て背負った上で、大きな舞台に立ち続けたある意味クレイジーな人たちで出来ているからだろうなと。

それをエンタメとして享受して消費している私には、心配はしても否定はしきれないんだよなあ。苦笑するしかない。

主演2人は正気の沙汰とは思えないステアラ半年間公演を、途中ストップを挟みつつも大楽まで走り抜けているし、祥平くんは何度も走り始めた公演が中止になって痛い思いをした、けれど何度でも舞台に立ち続けている、その「演劇に人生を捧げたやべー」人たちだから、ああならざるを得なかったんだろうなとも思います。

ウォーリー木下さん脚本・演出のハイステも、よりによってシリーズ最終作がコロナ禍でとても悲しい終わり方をせざるを得なかった、どれだけ努力しても気をつけてもどうしようもない世界の中で、こうあればいいのに、っていう夢のようなシークエンスなのかもしれないなと。

原稿を仕上げて提出したあと、サイコーは実際にそこにいるというより、川口たろうみたいに霊体だけそこにあるような存在の薄さを感じたんですよね。まあ実際は入院してるわけだから、あのシーンはイマジナリーサイコーじゃないかと個人的には思ってるんですが。

原作だと確か休載期間があったと思うし、亜豆が原稿手伝うくだりもあったと思うんだけど、まあ普通に考えてマンガ描いてない素人が手伝ったところで猫の手にもならんだろってやつだしな…。

 

演技については、「みんな上手い! 以上!!!」って感じになってしまうんですが、No.9のときにあまり絡んでいなかった拡樹くんとギリジンさんがまさかあんなにずっと一緒だと思わなかったので嬉しかったです。サイコーとたろうおじさんの空気感が凄く柔らかくて。あと、シンプルな舞台だから、拡樹くんのパントマイムの上手さが見られてよかったなあ。ドアを開けるシーンとか、インク瓶の蓋を開けるシーンとか。

あと、「だが断る!」はみんな観たかったやつだよね(主語が大きい)ありがとう。

 

全体的にみんなとっても仲良さそうなのと、あらまっきーが物凄く楽しそうだったのが印象的でした。あと編集会議で笑い崩れる唐橋さん。編集会議の村上さんとギリジンさんの日替わりは徐々にスケールアップしてて凄かったし、それによって編集部員が笑い死んで進行がストップするレベルなの面白かったです。

祥平くんの新妻エイジは水を得た魚のようだなと思いました。合うと思ってたけど本当に合うなーと。ノヤっさんを初めて観た時を思い出してニコニコしてました。そして平丸役の福澤侑くんの身体がキレッキレなのすごかった。オレノさん村上さんとの空気感もとても好き。オレノさんは編集会議で巻き込まれ事故を食らってた回があって、必死で立て直してたのが印象的で。でも強面漫画家すき。

そして丁度NACSの新作でマギーさんの演出を観たばっかりだったので、元ジョビジョバの長谷川さんがいらっしゃるのは凄く不思議な感じでした。なんだかんだ90年代の小劇場に物凄く憧れがあるし、特に長谷川さんは映像で観ることが殆どだったので。長谷川さん、大楽でシュージンのもうひとりの父親的ポジションに見えたシーンがあって、これは銀劇やTDCHでは感じなかったので、役は役者が育てるものなんだなってしみじみしてました。

 

TDCHはたまたま一緒に行った友人も観劇タイミングが重なった友人もNACSの北海道時代からのファンで、あとラーメンズのファンだったり村上さん主宰の劇団員が客演している舞台をちょいちょい観てたような人たちなんですが、そういう友人と2.5の話をして盛り上がれるっていうのも不思議だったし、皆ワクチン接種終わって落ち着いて、感想を話し合えるありがたさと来たら。

 

そして何より。

銀劇3階から見下ろしたプールの水の飛沫や波紋が、時には汗だったり涙だったり、心情をあらわすスクリーントーンの模様に見えたり。雨降らしをプロジェクションマッピングのスクリーンにする発想もですが、全体的な演出の洗練された感じが凄かったです。

あー、演劇観たな!!

楽しかった!! この座組でまた芝居やってほしいな!!

楽しいっていう思い出を持って帰れる作品に出会えたことが嬉しかったです。