ゆうきさらのほんよみにっき@はてブロ

はてなダイアリーから引っ越しました。ゆうきさらが読んだり見たりしたものを気ままにつづります。

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰(4)7/5北九州マチソワ感想と7/6の出来事(7/11追記あり)

えー、とうらぶ今月の極は歌仙さんでしたので、

yuuki-sara.hatenablog.com

の予想はハズレですな……まんばちゃん来月の極実装が楽しみなような怖いような。

 

以下、ネタバレしかない感想。主に演技の話が多いかな。

そして7/6の話も少しだけ。

(7/11追記あり追記部分の文字色を青に変えてます。そして義輝様のお名前を間違っていました……!どあほう!!修正しました……。)

たたみます。

 

 

ということで、7/5の北九州・アルモニーサンクソレイユホールでのマチソワ観劇してきました。

実はそんなに長くない観劇歴の中、マチソワぶっ通しで観るのは初めてだったという。通して8時間近く劇場にいたはずなんだけど、長さは感じなかったなあ。

 

前にもブログに書いたけども、実は虚伝再演で初めて劇場で刀ステを観たのが、この北九州のソレイユホールでした。上演中の物凄い熱量に圧倒されて、呆然としながらフラフラとリバーウォークまで歩いて行ってから、もう2年なのかまだ2年なのか。

 

とても思い入れのある場所で、(一応既に初日LVで観ているとはいえ)悲伝を観劇出来たことが嬉しくて。いや内容はしんどいんだけどね。

元々コンサートホールなので、キャパが2,000人以上という大箱だから、決して演劇向きではないとは思うのだけれど、とにかく音がいい。そしてホールを埋め尽くす観客は圧巻でした(マチネは1階中央より少し後ろ、ソワレは1階後方席だった)。

あと、パイプオルガンが設置されているホールなので、とある劇伴が刺さる刺さる。

 

で、大箱なだけに、後方まで演技を届かせようと思うと、相当体力気力を使うだろうと想像出来るんだけど、その辺りは慣れているメンバーなので全然問題なかったです。

距離は全く感じなかった。そもそも虚伝再演も義伝もジョ伝も福岡公演はキャパ2,000↑のホールだし、新しい刀剣男士もテニミュキャストが多いから、大箱経験あるだろうっていうのは強いなと。

 

全体的な感想としては、初日から相当熟成されて演技と表現が深まっていたなあと。感情の流れや伝わり方がとても自然になっていて、京都公演で座組全員で深めていった形を観られたのが嬉しかった。明治座では泣かなかった場面で泣いたりもして。

あと、殺陣の手数が物凄く増えていたのと、感情表現と殺陣が融合して馴染んでいたのが印象的。

場面もちょっと整理されていて、笑うところと息を呑むところの緩急のバランスが非常に良い形だったなと思いました。一幕前半でお客さんが笑う笑う。

 

ちなみに、日替わり

7/5マチネ:ログインボイス三日月宗近、山姥切のおやつ…豆大福

7/5ソワレ:ログインボイス…山姥切国広、山姥切のおやつ…めんべい

でした。

 

明治座では花道を走っていた刀剣男士は、中央近くの通路を最後列から前まで突っ切るという、なかなかに長距離走な感じで。その後息切れせずに台詞を言えるって、どういう鍛え方をしているんだ……。

あと、2幕の山姥切国広との対決の際に、三日月が登場するのは舞台中央。スッポンやセリがないので当然ではあるんだけど、照明の感じが明治座とは随分違っていた気がする。

末満演出の特徴として照明が暗めっていうのがあると思うんだけど、大箱だったらもう少し明るくても大丈夫なんじゃないかな、とは感じたなあ。

 

以下、印象的だった部分を羅列。後半に行くほど分量が重いぞ!

  • 小烏丸の超越者っぽい感じが、明治座からさらに上がっていて、とても神々しかった。玉城くん、いい役者だなあ。存在感がものすごい。殺陣もキレがあって美しいし。それだけに最後、小烏丸が三日月と山姥切を見守ることしか出来ないのが切ない。あと、以下のインタビューを読んでて「あっ」と思ったんだけど、実は悲伝の三日月宗近には手塚治虫火の鳥」の我王っぽさを感じていて、小烏丸は我王を見守る火の鳥なのかもしれないな、と。「火の鳥」もループもの要素があるし。演技が非常に安定しているから観ていて安心感が凄いんですよね。しかしペダステ組の地力は素晴らしいなあ。あと、常に重心が片足に集中していて、烏がぴょいぴょい跳ねるような動きもとても良き。

natalie.mu

  • 健人くん演じる鶴丸国永の存在感と、殺陣の鮮やかさ、何より芝居が深まっていて、鶴丸が出てくると自然に目線が吸い寄せられた。この座組の中では年下の方なんだけど、義伝から悲伝の間に一体何があったんだっていうくらい光が増していて、それだけに、おそらく義伝の前から(もしかしたらもっと前から)三日月のループに気がついていた感じが見えるようになっていたのは、ニュアンスの深まりだな、と。殺陣の華やかさと声の張り方が非常にいい感じで、きっとこれから伸びていくんだろうなと思いつつ。明治座の後に義伝を見返して、黒鶴の時の声の出し方がいいな、と感じてたんだけど、その時の張り方が見せ場で全部効果的に出てきてる風で、凄く印象的だった。三日月との腹の探り合いは相変わらずなんだけど、悲伝では本音を探ろうとしている風もあって、三日月と鶴丸との関係性の変化が見えた感じ。鶴丸はどの辺りでループに気がついたんだろうか、と考えると、義伝の前なのかなあ…三日月は遠足も初めてなら黒甲冑も初めてのようだったし。
  • 東くん演じる燭台切光忠が、厨のシーンで見事な歌声を披露して、2,000人から大拍手を浴びてました。とても気持ちよさそうだったし、観ているこちらも気持ちいい場面だった。今年の頭に「マタ・ハリ」を国際フォーラムで観劇したんだけど、真っ直ぐな歌声はすっと耳に届くし、演技も物凄い勢いで深まっているし、そもそも背は高いし見た目はいいしで、きっとブレイクするぞってワクワクする。虚伝初演の時には19歳とか信じられないなあ。そして演技が深まってきたからこそ、今回燭台切光忠が背負う物語は重いんだろうなと。焼身であることを指摘されて動揺する姿からの、自己を確立していく過程がとても愛おしかった。ステでは陽の性を持ったキャラクターだと思うんだけど、どこか違和感のある、過剰なまでの陽性な態度の裏が見えたというか。今回は光忠をそっと導く立場になる歌仙兼定が実に大人なのが、本当に安心する……。和田さんの包容力。そして文系ゴリラな殺陣最高。二幕ラスト、伊達組にいじられてお小夜を呼ぶ姿にホッとするんですよ。悲伝の癒し担当。最初に光忠に投げかける問いは鋭いんだけど、そこから先、光忠をちゃんと心配して、付かず離れずの距離を持つのがとても優しいなと。主との物語を乗り越えた後の強さを芯に持っているし。歌仙さんだけじゃなくて、悲伝に出てくるキャラクター達はなんだかんだ皆優しいんですよね。だからこそ辛い。
  • 極めた長谷部と不動の二振り。虚伝は不動の物語でもあると思うし、椎名さんはそれを見事に背負っていたと思うんだけど、今回悲伝で、過去の自分を見つめ直す作業から、「鵺」が自分でもあることを指摘する一連のシークエンスは素晴らしかった。長谷部と不動は今回ニコイチで扱われることが多かったけど、台詞のハモりや二振りで一組の殺陣など、二人の息が合っていて気持ちよかった。そしてもう一人の和田くんの長谷部は、性格的なブレなさを体現するような演技で、その頑固さがいっそ気持ちよかった。長谷部はずっとそのままでいて……。二人の演技の安定感も凄いんですよね。特に椎名さんは虚伝で顕現したてのレベル1不動から、旅立ちを経て極めるまでの成長の過程がちゃんと一直線上になっていて、役の解釈の仕方がブレないんだろうなあと。和田くんはジョ伝での物語を経て、まっすぐに強さを求める様と、それ故に山姥切に対して時には辛辣にも聞こえる言葉を投げかけながら、でもちゃんと慮っている関係性の深さを感じる演技がとても好き。そういえばステの最大の不思議なんだけど、なぜ極めた途端ライトセーバーになるんだろう……。
  • 三津谷ばみちゃんと川上大般若さん。この二振りは刀剣男士の優しさの部分を悲伝では背負っていると思うんだけど、互いを思いやる様子が痛々しくて切ない。そしてばみちゃんの優しさが三日月にも向けられるのが本当に悲しい。ばみちゃんの抱擁はとても愛おしいシーンだと思うんだけど、三津谷さんの静の演技の上手さが際立っているなと。川上くんは殺陣がダイナミックでかっこいいなあ。そして足が長い……。殺陣の手が明治座から増えてた気がするし、体に馴染んで物凄く見栄えがする殺陣になってました。虚伝の一期一振系統の殺陣か、と思ったんだけど、また違う感じかな。そういえば、ステのキャスト変更は実質的に二振り目、って考えてもいいんだろうか。北川ばみちゃんとの差異がそこまで打ち出されている訳ではないんだけど(元々、二人とも同じ骨喰藤四郎を演じている訳だし)、北川ばみちゃんはどこかアグレッシブな印象があるんですよね。で、三津谷ばみちゃんは静の印象が強い。同じキャラクターでも解釈に違いがあって面白いなあ。
  • 古備前二振り。冒頭で「思わぬところで泣いた」って書いたんだけど、実はそれは大包平三日月宗近を信じていると表明するシーンなんですよ。加藤くんはテニミュ卒業の次の作品が刀ステで、どうしても板の上での場数の差が出てしまう演目だし脚本だと思うんだけど、明治座から比べて、物凄く気持ちが入っていて、三日月を心の底から信じているのが伝わってくるいい台詞になっていたなあと。こういう形で成長していくから若手の芝居って面白いんだなあ。鶯丸の前山くんは経験も長いし、元々演技も安定しているけど、古備前もニコイチ感が上がっていて、二人で出てくると思わずニコニコしてしまう、こちらは一息つける安心感が上がっていて微笑ましいなと。いい感じで天然ボケとツッコミに進化してたのが楽しかったです。関西人の血か……?
  • 「鵺と呼ばれる」碓井くんと中河内義輝様。北九州で観て、色々気づいたことがあったんだけど、悲伝においての義輝と「鵺と呼ばれる」は、ゲームにおける審神者と刀剣男士の関係の写しなのかもしれないな、と。あと、「鵺と呼ばれる」と三日月の顕現台詞「三日月と呼ばれる」って呼応しているんだな、対になる存在なんだな、と今更ながら気がついたんだけど、それは碓井くんの演技が(元々うまいなと思ったけど)さらに深まって、こちらもまた演技の深まった、鷹揚で刀を愛する義輝との絆もくっきり見えてきて、さらに戦闘の際に武器として使われなかった三日月宗近との対比も見えてきて、明治座初日を観たときよりも胃が痛い展開だったかもしれない。沢山の刀の要素を含んでいたものが、義輝に名付けられることによって明確な自我を得て、「明鏡止水のかたな」になって滅びるまでの歴史は、おそらく三日月宗近が数多のループで見たことのないものなんだろうけど、明治座よりも明確に、三日月宗近が「鵺と呼ばれる」と義輝に対する感情の揺れを台詞で表すようになっていて(これ別の項でも書くけど)、鵺と三日月宗近のシーンの緊張感がものすごかった……。あ、話は変わりますが、義輝をハグする鵺はばみちゃん要素の部分ですよね。あのシーンも良かった。ばみちゃんの記憶は失われているけれども、確かに義輝の時代に存在している、ということを現すシーンでもあるんだなと。
  • 荒牧くんの山姥切国広。今回、山姥切はひたすらストレスとプレッシャーをかけられる役で、とにかく我慢のときを過ごさなきゃいけないと思うんだけど、その分一幕冒頭での近侍としての安定感と、三日月とおやつを巡って争うささやかなシーンに癒されるわけで。北九州で観た限り、足の手術をした後だとは到底思えないような凄い動きで、改めてその努力に頭が下がるなあ。三日月との対決シーンで、しゃくりあげるくらいの勢いで嘆き悲しむ様子があまりにも悲哀に満ちていて、帰り道に友人と「三日月宗近はなんて酷い男なんだ」と何故か怒りモードに入ったという 笑。そしてラストバトルの殺陣の手数が凄いことになっていた。いやもう、観ていて手に汗握るとはまさにこのこと。殺陣なんだけど、芝居なんだけど、そうは見えないんだよね。心から信じていた相手と泣きながら戦う姿の悲しさと愛おしさ。彼は戦うことによって、三日月から自立しなきゃいけないんだねえ……。その涙の果てに、近侍として山姥切が何をするのか、何を得るのか、とても知りたいと思う。そして歴史の欠片が降ってくる中、刀達が辿った時を垣間見て、山姥切がどう思ったのか気になる。歴史の欠片のシーンは万華鏡のようで大好きなんですが、三日月以外(三日月は数多のループの中で同じようなものを体感しているだろうから)に見た唯一の刀剣男士っていうことになるのかな。一体何故山姥切国広でなければならなかったのか。彼が信長の時代には打たれていない若い刀だから、っていうことも関係してくるんだろうか。他は信長の時代には存在している刀なんだよね、確か。最終的には信長の物語に収斂していくのだとしたら、という仮定で考えるならば、なんだけども。
  • そして鈴木さんの三日月宗近

yuuki-sara.hatenablog.com

前のエントリでも書いたとおり、ステ本丸の三日月宗近は「演者が鈴木拡樹」だからこそ背負い得た業を体現した存在だと個人的には思っているんだけど、明治座から北九州公演までで、台詞の1つ1つから見事に感情が伝わってきて、音響の良さも相まって突き刺さるようだったんですよ。特に感じたのは「鵺と呼ばれる」と山姥切国広への思いと、本丸を大切に思っている情の深さ。

 1階後方席だったので表情がはっきり見えるわけではないんですが、声だけで表情が想像出来るし、感情がくっきりと読み取れるんですよね。オペラグラス持って行ってたんだけど、表情をアップで追っていると情報過多になってしまいそうで、オペラ途中から外してしまったくらい。「この言葉には嘘がある」という部分まで、台詞だけで読み取れるっていうのは凄いなと。大箱ならではの妙技を堪能しました。

 

前項に少し書いたんだけど、一幕で「鵺と呼ばれる」に対する言葉が、酷薄にも聞こえるくらい冷たくて、でもその中にもどこか羨望めいたものを感じたのと、「俺は使われなかった」という台詞に含まれる激しさに驚いたんですね。で、「あれ?」と思っていたら、二幕でくっきりと三日月宗近の中にある激しさ、まるで融けた鉄のような熱さが表現されたので、三日月宗近vs他の刀剣男士との戦いのシーンは鳥肌ものだった。「俺を折るのではなかったか!」と吠えた瞬間思わず体がすくんだんだけど、そうだ、神々しいけれど、この存在の本性は刀なんだ、と突きつけられたというか。悲伝では三日月の咆哮がとても印象的だったんだけど、これまで優雅さや余裕を前面に見せてきた分、隠していた本音を曝け出した瞬間、という感じがして震えたなあ。

 

あと、マチネとソワレで三日月宗近の含んでいるニュアンスがちょっと違うように感じて。マチネはどちらかというと、三日月宗近が理不尽な状況に対して抱く憤りを感じて、ソワレは本丸での日々を愛して惜しむような悲しみを強く感じたんですね。ソワレは台詞を聞く度になんだかこちらもこみ上げるものがあって、あと、面白かったのが、まるでそれに呼応するように、山姥切国広に、マチネでは三日月宗近と対峙することへの悲しみを、ソワレでは絶望と混乱を感じたのが。やっぱりお芝居って生物なんだなあとしみじみした。

もう1つ。明治座のあと義伝を見返したんだけど、悲伝ではまるで別人のように殺陣が美しくて、義伝の時に既に完成されていると思ってたのに、一体この人の天井はどこにあるんだろうとびっくりしたのでした。凄いを通り越して怖いくらいだよ……。髑髏ではどうしても殺陣は抑え気味だったと思うので、全力の殺陣が観られたのも幸せ。あと、一瞬で抜刀するシーンがあるんだけど、思い返してもどうやって腕を動かしてたのか全くわからなかった……かなりリーチの長い刀だと思うんだけど、自分の体の一部観たいに馴染んでいるんだろうなあ。「鵺と呼ばれる」の喉元に刀を突きつけるときに、歩きながら手首を返す仕草にも同じことを思ったんだけども。

三日月宗近は美しい刀である、ということを体現する役者なのだな、と強く感じました。殺陣や所作の美しさだったり、台詞の抑揚だったりもですが、そこにあるだけで美しいと感じる付喪神。そこから、なにものでもない、ただの鉄の塊になろうとする瞬間の美しさには、とにかく圧倒されました。美しさは高い演技力によって演じることが出来るのだなあと、訳のわからない感想を持ってしまった。いや鈴木さんは整った顔をしてると思うんですが、遠くにいて顔が見えなくても三日月宗近は美しかったからなあ……。

そういえば、明治座との差異で、刀解される過程が演技でわかりやすく表現されるようになっている、というのがあった気がして。手が震える、苦しみ悶える、そしてついに白くなった三日月の、まるで老爺のように腰が曲がってしまい、ふらふらとした幽鬼のような足取りの衝撃。それが山姥切国広との対決を前にして、少しずつ背筋が伸びていき、これまでの三日月宗近の姿勢を取り戻してゆく過程が恐ろしくて悲しくて、でも目が離せなかった。どの会場で観ても、白い三日月が出てきた瞬間、観客が息を呑むのがわかるんですよね。とても印象的な場面だな、と思う。そして全力で山姥切と「刃もて語ら」った後、満足そうな、寂しそうな笑みを見せて小指を立てる三日月があまりにも残酷で、その対決の過程で、三日月がなお、山姥切に強くあって欲しいと願う、その殺陣と演技が切なくて、山姥切の慟哭とともに、こちらも涙が止まらなくなる、物凄く好きなシーンだなあと。

私は「髑髏城の七人」に関しては大体月1で観た感じだったんだけど、その中でも鈴木さんの演技プランの繊細さや、板の上での表現のレベルアップというのは目に見えてわかって、だからこそ、髑髏を経た三日月宗近がどう演じられるか、気になっていた部分があったんだけども。

凄い、というか、凄まじい。語彙力が不足しているので言葉がうまく出てこないんですが。ジョ伝の大楽ライビュのときに、「主演 鈴木拡樹」と大きく映し出された悲伝のトレイラーに驚いたんだけど、まさに悲伝の柱であり、刀ステにおける三日月宗近の物語を描くのに、この人でなければならない役者なんだな、と。悲伝の後に序伝から虚伝・虚伝再演と義伝を見返したんだけど、特に義伝の印象が全く違っていて、「恐ろしい……」と思ったんですよ。でも、虚伝ー義伝ージョ伝ー悲伝での三日月宗近の性格的なものやキャラクターはブレてはいないんですよね。隠していた部分を表に出す、という部分はありつつも、過去作での行動を観ていれば納得出来る範囲だし。とても迂遠で繊細な演技プランだと思うので、その辺の戦略的な部分も含め、凄い役者だなあと改めて感じました。

実は、悲伝を観るまで、とても好きな作品なんだけど、刀ステシリーズにおける義伝の立ち位置を測りかねている部分が自分にあったんですね。それが、悲伝を観た後に義伝を観たら、義伝の位置が(自分の中では)くっきりと立ち上がってきて、「末満健一おっかねえ……」となったのでした。長編シリーズだから出来る冒険だと思うし、悲伝にもそういう物語になって欲しいな、と願ってしまったんですよ。要するに続きをよろしくな……。いやここで終わってもいいと思うんだけど、出来れば続きが観たいな、と思う。欲深いけど。三日月宗近の望む最期は山姥切国広に折られることかもしれなくて、それはそれで観ている側も辛いんだろうけど、でも、いつか、三日月宗近の願いが叶う瞬間が観られればなあ、と改めて思ってしまった。願いは呪いになりかねないので、夢見るくらいでやめておきますが。というのも、以下の体験をしたから、というのがあってですね……。

 

さて。実は、7/6マチネもチケットが取れていました。

そして、劇場で観られる3公演の中では、それが一番前の席だったんだけども。

7/5ソワレ開演直前にエリアメールが一斉に鳴って、実はそれで開演が少し遅れたんですね。ソワレは無事に終わったんだけど、外に出たら雨が強くて、ホールのすぐ側にある紫川沿いを歩いてご飯を食べに行ったんですが。

ホテルに戻ったらとにかくエリアメールがガンガン来る。警報が鳴りまくる。NHKはL字画面。「これ、大丈夫かな」と思っていたんですが。

夜半過ぎても朝になってもエリアメールはひどくなる一方で、気がついたら、紫川流域に避難準備情報が出ていました。

嫌な予感がしつつもツイッターのTLをチェック。例によって、鈴木さんやキャストの皆さんの注意喚起ツイートが流れていました。その温かな心遣いに感謝しつつ、朝食をホテルで済ませた時点で、マチネの中止ツイート。

とりあえずチェックアウトをして、小倉駅近くでソワレがどうなるかの告知を待っていたんですが、やはり中止が決まり。

義伝のときは北部九州豪雨の直後で、高速バスがまともに走っていない状態でした。で、今回の公演中止。

九州の梅雨末期の雨はここ10年くらい本当に酷くて、あらゆるところで被害が出てます。そして今年は、今に至るまで被害の全容がわからない程広範囲で。中止はとても正しい判断だったのではないかと思います。目の前に川があって、そこが氾濫していたら、観客にも被害が出ていたでしょうから。

早々に公演中止を決めてくれたおかげで、ソワレ中止の報の直後に小倉駅に行ってみたら、たまたま朝から博多で足止めを食らっていたらしい特急が小倉駅に到着したようで、それに乗って、ほぼいつも通りの乗車時間で地元に戻ることが出来ました。

 

今日、チケットの返金処理をしてきました。さすがにこみ上げるものはありましたが、九州に住んでいて、ここ10年程の被害の大きさを知っている者としては、公演中止については心から納得です。九州は水害で人が亡くなる土地なので。

 ちなみに余談ですが、熊本大分地震のとき、JR九州がストップして、福岡で待ち合わせていた友人と会えなかった経験があったり。

 ショウ・マスト・ゴー・オンとはかくも難しいものなんだな、とただ溜息……。キャスト・スタッフの皆様にはどうかこの中止になった公演の分まで、誰一人欠けることなく、駆け抜けて欲しいなと願うばかりです。そして、責任感の強い座長のツイートに、とても安心したし、それだけにどうか、責任を感じすぎないで欲しいとも思いました。

誰も悪くないのです。本当に。

 

 幸い大楽ライビュが観られるので、残りの公演がどうか充実したものになるよう、心から祈ります。

 そして、今回被害を受けた地域には、私が大学時代を過ごした土地も入っています。どうか早く復旧しますように。わずかばかりの寄付はしたのですが、これからが大変だと思いますので……。