ネタバレしかないから気をつけてね!
あと、基本的にこのエントリは感想と妄想で出来ています。
慈伝については感想書く暇がなかったのと、チケット全部外れてライビュでしか観られなかったので、結局エントリは立てられませんでした。まあ水モノだから仕方ない!
そして、末満健一脚本演出のTRUMPシリーズの名前が出てきます。
なお、このエントリを書いているのは悲伝の亡霊だから色々すまん。
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あまりにも、あまりにも脚本演出の出来が素晴らしかったです。
幕末ものとしても刀剣乱舞としてもサイコーでしょこんなの…。
あと、可変式のステージが文久土佐の構造とリンクしていると明かされた瞬間、鳥肌が凄かった。
ペダステの坂が大好きだった人間として、あの可変ステージは「ザッツマーベラス謹製!」っていう感じで。セットチェンジするの本当に大変だと思うし、どうか最後まで怪我にはお気をつけて…。
蒼木むっちゃんの陽属性が大好きなんだけど、最後に不穏さを残して終わるのも非常に「と、刀ステ~~~!!!」っていう感じで。
何より歴史人物キャスト、岡田さん一色さん神農さん唐橋さんの醸し出す生々しさが、刀剣男士と良い対比になっていて、さらに歴史ものとしての重厚さが加わってたなあと。
そして蒼木むっちゃんと一色さんのアクロバティックな殺陣がまあ華やかで。
南海先生の罠張りダンスタイムも最高でした。
色々まとまらない&大楽にもう一度観る予定なので、エントリに色々追記するとは思うんですが。
以下舞台アカ https://twitter.com/yuukisarastage の自分のツイート引用。
維伝観て、末満脚本は物凄く作劇のセオリーに忠実に、「あるキャラクターから一番大切なものが奪われることに直面したときの葛藤を描く」構成だと思ったし、これって案外手ぬるくなっちゃいがちなので、そこの容赦なさに感服したんだけど、三日月とまんばちゃんの物語は「一番大切なもの」を敢えて描かずに伏線を張っていってて、それ故に据わりの悪さを感じる部分があるんだなあと。ジョ伝や維伝はそこがないから、エンタメとして物凄く上質にストレートに面白いんだなと改めて思うなどした。
維伝は「この本丸には円環を廻り続ける三日月宗近とそれを救いたい山姥切国広がいる」っていうステ本丸独自のマクガフィンがあるらしい、っていう程度に情報の出し方を留めつつ、慈伝までを知っていたら違う部分が見えてきて、まるで騙し絵でも見ているような構成だなとしみじみ思った。
逆の言い方をすると、維伝以降の物語は三日月と山姥切の逸話をマクガフィンとして扱うことに留めておくことも出来るし、その先を見せる方向に持っていくこともできるし、長編シリーズになってきたステ本丸のハンドリングとして非常に納得出来る&したたかな構成だなと(褒めてる)。
逸話というか、ステ本丸の神話かな…神話の結末は世界の滅亡かその神話を持つ文明の衰退しかないんだけど、慈伝まではステ本丸の神話を構築するのに必要な「物語」だったのかもしれないなあ…。
引用以上。
悲伝の亡霊なのでどうしても円環を巡る三日月宗近とそれを救いたい山姥切国広のことを考えてしまうんですが、先日日テレプラスの一挙を観てたら、義伝で三日月が「政宗の執念がループの起点」っていうのを発言しているんですよね。
この発言から考えると、誰かの執念が起点になって三日月宗近は円環にはまり込んだと考えてもいいんじゃないかと思うんですが、そこで出てきた謎の時間遡行軍ですよ…。
いや元々、この辺のエントリで、まんばちゃんが関わってるんじゃっていうのは書いてたんですが、いざあの姿で出てくると精神的ダメージが凄いな…。
彼は沢山の刀剣男士の物語を求めているようだけれど、これは今後シリーズで沢山の刀剣男士の物語が語られるっていうメタファーでもあるだろうし、山姥切国広がジョ伝で高らかに叫んだ「俺達の物語だ!」、三日月宗近が悲伝でつぶやいた「この本丸での俺の物語も、ここまでだ」という台詞にもかかってくるんだろうなと楽しみだったり切なかったり。
そして、最後にむっちゃんが残した不穏な空気、「刀とは」という問答は、悲伝で燭台切光忠が歌仙兼定からの言葉で揺さぶられた「僕たちは刀だ」っていう問答と被っているなと。
兼さんが銃を使ったことといい、これからキーになる問答だと思うので、どう展開するのか本当に気になる…。
そんなこんなで鳥太刀ですよ。
まさかの染鶴復活と悲伝に続いての小烏丸登場に驚いたんですが、慈伝までの物語の語り手として欠かせないんですよね。
染鶴を実際に舞台で観るのは初めてで、「圧が、圧が強い…!」というのが第一印象だったんですが、序盤からトリックスターとして楽しそうにアドリブをぶっ込んでいたのに、終盤の「寂しいんだ」ですよ。こんなん涙腺崩壊するじゃろ。ずるい。
三日月宗近と楽しそうに山姥切国広にちょっかいを出していたあの日日が、鶴丸国永にとってどんなものだったのか、一言で全部わかってしまう重さを持っているのは流石だった…。
そして要所要所をきちんと締める小烏丸パパの存在感は相変わらずで素晴らしい。
小烏丸は一体何を知っていて、どんな役割を持っているんだろうなと。
そして、どうやら二振りあるらしい鶴丸、江雪、骨喰が本丸内に揃うことはあるんだろうか。ジョ伝の山伏国広とは別に折れた刀達、もしかして虚伝で山姥切国広が話していたエピソードは、実はジョ伝の事じゃなくて維伝に出てきたあのエピソードなんだろうかと謎は深まるばかりなんですが、福岡でもう一度観られるのが本当に楽しみです。
あともう一つ引用。
虚伝から一気に見てくと、物凄い勢いで末満脚本演出がブラッシュアップされていってるのがわかって、人は与えられたキャパに伴って成長していくものなんだなってしみじみしている…維伝は1つの到達点だと思うの…。
引用以上。
今回、大箱にふさわしい演出だと思ったし、むしろ箱が小さく思えるくらいだったんですよね。というか、自分がステアラにいるんじゃないかっていう気になったし、何年後かにステアラで刀ステやってもおかしくないんじゃって思いました。
SPECTOR再演あたりから、物凄い勢いで演出が研ぎ澄まされているように思ったんですよ。COCOON月の陰りのラストで大量の花びらが血のように舞い落ちるエンドも素晴らしかったですが、維伝は物語の構造とリンクしたセットチェンジがあまりにも見事で。
あれを人力でやり遂げてるの、アンサンブルの皆さん含め正気の沙汰じゃないな?! と思うんですが、とにかく凄い。あれだけでも一見の価値がある…。
そして、悲伝の戯曲に目を通して、一気に悲伝の頃に心が戻ってしまったんですが。
後書で号泣したので、やっぱり「ここにいる三日月宗近と、ここにいる山姥切国広の物語」のその先を観たいな、とも思ってしまうわけで。
今よりももっとブラッシュアップされるであろう末満脚本演出で、それを観ることが叶えばいいなあ。
「TRUMP」からの「COCOON 星ひとつ」で、ソフィからウルへの、ウルからソフィへの想いの謎が10年越しで明らかになったように、あの本丸の謎が明らかになる日が来るといい、と祈った年の瀬でした。